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【82】松下幸之助さんから学ぶこと②

街の電気屋さん・・・「ナショナルショップ」 | さいたま運転所コレクション

 

前回に引き続き、松下幸之助さんについて見ていきます。

 

まずは、彼の生涯について。松下幸之助さんは、1894年、和歌山県和歌山市の下駄屋の3男として生まれます。実家は非常に貧しく、尋常小学校を4年で中退し、9歳で大阪の火鉢店に丁稚奉公を余儀なくされます。その後、16歳で関西電力に入社し、7年間勤務します。仕事をしながら商工学校の夜間部で学びました。

 

その後、関電を中退後、電球ソケットの販売を開始し、松下電気(現在のパナソニック)を立ち上げます。その後、66歳まで社長として会社を率い、一代で巨大グループを築きます。

 

そんな松下幸之助さんが晩年に語っていた、自分が成功した理由は非常に有名です。

 

①貧乏だったこと

②学歴がなかったこと

③体が弱かったこと

 

一見すると、これは「できなかった理由」にカテゴライズされてしまいがちです。自分だったら、真っ先にできない理由にあげて、自分に言い訳する材料に使いそうです。

 

では、なぜこれが成功した理由であると松下氏は語るのか、ひとつひとつ見ていきましょう。

 

まず、1つ目の貧乏だったことについて

 

彼曰く、貧乏であったからこそ、お金の大切さに気づくことができ、一生懸命に働こうと思えたそうです。また、わずかな給料でも感謝できたからこそ、仕事の大小にかかわらず、精を出せ、結果的に大きな会社を築けたと語っています。スーパーポジティブですね!!

 

2つ目の、学歴がなかったことについて

 

彼曰く、学歴がなかったからこそ、他人に素直に教えてもらうことができ、結果的に成功することができたと語っています。ウルトラポジティブですね!!

 

3つ目の、体が弱かったことについて

 

これが自分には1番ぶっ刺さるのですが、彼曰く、体が弱かったからこそ、人の能力を信じて任せることができたと語ります。実際、日本において、「事業部制」を最初に採用したのは松下電気であると言われています。松下氏は権限委譲を重ねることで、巨大な企業グループを作り上げたのです。これは一理ありますね。

 

ここまで、松下幸之助氏の語る、自身が成功できた3つの理由を紹介してきましたが、ここからは、この3つの成功理由からわかる、彼の類まれなポジティブさについて見ていきます。

 

(続く)