【31】寵児マツダに見る弱者の戦略2
(1の続き)
マツダについて少し蘊蓄を話すと、マツダはもともと、スペシャリティな車の取り扱いが多く、コアなファンを抱える中堅自動車メーカーでした。
しかし、1990年頃に、トヨタや日産といった当時の業界最大手と同様の戦略である、ディーラーを複数の販売チャネル(ブランド)に分け、それぞれチャネルごとに別々のロゴやシンボルマークを冠して販売を行うマルチチャンネル戦略という作戦をとります。
最終的に、マツダ、アンフィニ、オートラマ、ユーノス、オートザムの5チャンネルまで拡大し、トヨタや日産と同じ5チャンネル体制を築きました。販管費も増やし、一時的に販売台数が拡大したものの、バブル崩壊と重なる形で急速に販売台数が大きく減少、拡大戦略が急激に裏目に出てしまいました。
ここで、マツダは一度倒産の危機に陥り、米フォード傘下となります。フォード傘下で業績は回復基調へ転じる中、リーマンショックが発生し、フォードが資金調達のため保有していたマツダ株の大半を売却、マツダは独立の道を歩むこととなります。
(続く)